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当別院僧徒 教化活動レポート『思いは東北!』~第4章~(更新日 2022/11/10)

『思いは東北!』当別院僧侶が見た東北の11年後 追悼旅



§ 第4章 大槌町 風の電話、三陸花ホテル はまぎく



私の東北支援活動歴の前半は、宮城県限定でした。


福島県は原発事故で立ち入りもままならないし、福島の復興は国が対応すべきであって、ボランティアの介入は必要ないと思っていました。大槌町は岩手県の南部ですが、災害ボランティアには少々遠すぎました。

震災8年後の初めての訪問では、ボランティア活動する場もありませんでしたが、やっぱりこの目で見たいと思い、訪ねています。今回で2回目になります。




◎「風の電話」



大槌町の山の上にあります「風の電話」です。

亡くなった人への思いを電話で伝えます。

電話の線はつながっていません。

亡き人を偲んで、自分の気持ちを吐露する場所なんです。

佐々木 格さんが、不要となったTELBoxを自分の自分のガーデンに設置しました。


ちなみに配達されない郵便物が集まる郵便局があります。

香川県三豊市にある「漂流郵便局」・・・

郵便局でしたが、今は廃止されて元職員の方が管理されています。

亡くなった人へは思いは伝えることができない、でもその心を書き綴った手紙を漂流郵便局に送ります。手紙を書くことで気持ちの整理ができます。                                          風の電話


いろいろな方がいろいろな思いを手紙にします。


東日本大震災では、22mもの津波が大槌町を襲いました。

1,272名の犠牲者、うち416名の行方不明者は他の市町村に比して突出しています。

2019年3月の初めての訪問では、震災当時の面影はうかがえず、巨大な防潮堤と水門の建設が目に焼き付いています。町内の家屋は新しくなっています。




◎三陸鉄道



さて岩手県の復興シンボルといえば、「三陸鉄道」です。

2013年のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」でよく知られるようになりました。

三陸鉄道は震災で甚大な被害を受けながら、一部区間といいながら素早い復旧をしています。

2019年3月23日、今まで分断していた北リアス線と南リアス線が、JR山田線の一部移管をうけてつながり、第三セクターとしては日本最長の路線として運行が開始されています。

前回、ちょうど三陸鉄道全線開通前のテスト走行を見ることができました。

3年前です、大槌駅にいた時です。感動します、感動しました。



三陸鉄道 大槌駅           
(※ Wikipedia より引用)         

復興のシンボルです。


大槌駅には「ドン・ガバチョ大統領」がいます。

高齢者なら知っていますよね、「ひょっこりひょうたん島」・・・

そうです、大槌町にはひょっこりひょうたん島のモデルとなった蓬莱島があるんです。駅舎は3つのデザイン案から、住民投票1位がですね、上から見る 屋根がひょうたん島なんです。

なんとなくわかりますよね。

大槌駅を撮るべく計画しましたが、次の訪問先のことで頭がいっぱいで寄ることを失念しましたが、電車の写真が今回撮れました。

ただ、大槌町ではないので次章でお見せします。お楽しみに!!


ドン・ガバチョ大統領         
(※ トラベルjp 公式サイトから引用)    

ここでお詫びを…


どこで言い出そうかと考えましたが、以前の写真データがありません。

幾台かの携帯電話とパソコンの更新によってデータが残っていません。

今となっては、対比させてのお話を考えていなかったもので処分してしまいました。ごめんなさい。




◎三陸花ホテル はまぎく



波板海岸にあります。

その時に対応したのが、今の社長千代川さんです。

 「崖に咲いてる白い花は何の花ですか」

陛下の問いに慌てて「ハマナス」と答えました。

陛下は首を傾けられたそうです。


翌日、千代川さんのお兄様が再びご案内、「はまぎく」と・・・

後日、はまぎくの苗は御所に送られました。


そして2011年3月 東日本大震災でホテルは壊滅、ロビーにおられたお兄様は犠牲となられました。





三陸花ホテル はまぎく       



◎平成の架け橋



ホテルにある「平成の架け橋」です。

安寧と慰霊の気持ちを込めて海が見える場所に作られました。

2019年3月に訪問したときは、10日であり、白い幕で覆われていました。今回、お声明をさせてもらうべく申し出ました。

千代川社長さんが対応してくださり、お声明のあと少しお話をしてくださいました。


被災後は、“がむしゃら”に走ってきたようです。。

でも今はコロナ禍において、異なった辛さに向き合っています・・・

お客様が激減

帰り際に手土産を差し出してくださいました。「本山にお供えさせていただきます」と有り難く頂戴し、阿弥陀様にお供えいたしました。。

平成の架け橋             
(※ 三陸花ホテル はまぎく 公式サイトより)   

三陸花ホテル はまぎくは、2013年8月に10億円余りをかけて再建。

同時に以前の「波板観光ホテル」から名称を変更しました。



ここにも千代川さんの思いがあったのでしょう。


2013年のテレビで御所の車寄周辺に白い花を、

そうです、

はまぎくが咲いていたのです。

はまぎくの花言葉は「逆境に立ち向かう」、

はまぎくが復興の背中を押してくれたのでしょう。

2016年9月 上皇陛下、上皇后陛下が再び、はまぎくを訪問されました。

上皇陛下は、「がんばりましたね」とお声をかけられました。


 わが君の いと愛でたまふ 浜菊の そこのみ白く 闇に咲く


1997年大槌町での浜菊を思い、上皇后陛下美智子さまがお詠みになられたお歌です。


はまぎく               
(※ 三陸花ホテル はまぎく 公式サイトより引用)  



*乱文、誤字脱字をお許しください。

*犠牲者のデータは2022 年 3 月、原発避難者のデータは 2022 年 2 月のものです。

*レポートは自由にお使いください。

*追悼旅の実施にご理解、ご協力を賜りました方々に感謝申し上げます。





参照元 宗学堂 当別院僧徒 教化活動レポート『思いは東北!』~第4章~