当別院僧徒 教化活動レポート『思いは東北!』~第9章~(更新日 2023/1/10)
『思いは東北!』当別院僧侶が見た東北の11年後 追悼旅
第9章 震災遺構 大川小学校
今回で5度目の追悼となります。
大川小学校では児童74名、教職員10名が犠牲となられました。
大川地区では418名が犠牲となられました。
教室の床は津波の威力で盛り上がり、校舎から体育館への高架の渡り廊下はねじり倒されました。
津波発生から避難までいろいろと考えていました。父兄の迎え、避難場所・・・
そうこうするうちに津波が襲ってきました。
マニュアル不備や防災訓練の不足について、犠牲となった児童の遺族が裁判を起こしています。ただ、裁判に参加しなかった遺族もいます。
裁判は2019年10月10日付 最高裁が市と県の上告を退け、よって仙台高裁の第2審判決 学校の防災体制不備を認めての賠償支払い命令が確定しました。
しかし裁判に参加した遺族、参加しなかった遺族、亡くなった教職員の遺族も、複雑な気持ちを抱え続けることには変わりありません。
大川小学校は海から3.7km 海抜1.1m、川の堤防より低い位置にありました。
津波は8.6m、到達まで51分でした。
堤防を越えて、住宅と大川小学校を飲み込んだのです。
校庭の右側に山があり、山に避難した児童は助かっています。
児童108名のうち、助かったのは34名です。
校庭からみる体育館
校舎からの校庭の様子 結願寺一行との追悼法要
ねじり倒された渡り廊下があります。
大川小学校では、3月11日発災時間にお声明を計画していましたが、結願寺一行と合流するため計画の変更をしています。
早朝の防災対策庁舎でのお声明を終えて、三陸道志津川ICから河北IC、IC近くの道の駅でゆっくりと車内での朝食をとり、地理の確認を・・・
10時ころかな、一行より早めに到着すると、なにやら黒服が・・・ SPです。
某野党の代表が来るとかです。やがて取り巻き、報道陣、現地の行政を引き連れての登場です。30分以上、いろいろと見て説明を受けたあと立ち去っていきました。
テレビでよく見る前国対委員長は、僧衣姿の私にお声かけくださいました。
以前のレポートで、「見える形での行動も大切です。ですが、人知れず行動することで本当の現実を直視できると思います。隠密裏に被災地入りし、汗を流して 活動し、被災者の生の声を聴いてください。」と書きました。
本当に何が起こって、そして住民の気持ちを聞きたいのなら、取り巻きを連れずに一人で来てください。追悼してください。そのつもりはないのかもしれませんが、3.11に来ているアピール感をぬぐい切れません。
前章(第8章)の南三陸防災対策庁舎で、違和感を覚えたと書きました。
大川小学校でもやはり、違和感を覚えています。校庭以外は舗装され、芝生が貼られて公園化しています。何やらモニュメントもあります。
被災後の凄惨な状況を見てきた私には、受け入れがたく思います。
そして、11日の夕方には亡くなった児童の数に併せてイルミネーションの竹灯籠を灯すとか。竹灯籠を見ましたが、これにも違和感を覚えます。背の高い竹灯籠が間隔を空けて、幾重かに丸く置かれています。LED電球が配線されています。
ろうそくの灯がゆらゆら・・・
何やら暖かくもあり、切なくもある
これが本来の竹灯籠の持つ意味なのだと思います。
では神戸ルミナリエはどうなのか。このことと併せ考えると完全にイベント化、商業化しており、阪神淡路大震災を思い起こすことなどあり得ません。
やっぱり悲しいことです。
そしてそしてです。学校入口にあったお地蔵様がありません。
伝承館の方に聞くと、学校から歩いて10分弱に流された曹洞宗のお寺跡がありそこに移っていますとのこと。お地蔵様は遺族が建てられました。応援の警察官や自衛隊員も協力したかと思います。
3年前にはありました。行くといつもお地蔵様に手を合わせていました。
追悼法要を終え、結願寺一行と別れてお寺跡に向かいます。
観音様の頭が見えてきました。お寺跡には観音様とお地蔵様、そして以前は校庭にあった祈念碑があります。
被災前に大川小学校に勤務されていた方が、手を合わされる人たちにお声かけをしてくださいます。お話をしてくださいます。
きっと、お地蔵さまが移されたことを寂しく思うとともに亡くなった大川小学校生徒教職員への思いからなのでしょう。お地蔵さまの移設を悲しく思うも、他校に移られた教員の方のお気持ちに少し救われました。
ネットで見つけました。
校門を入ってすぐのところに建てられていたお地蔵様です。
このお地蔵さまが、お寺跡に移動しています。
遺族のお気持ちを大切にして欲しかったです。
残念なことに次のスケジュールに追われてしまい、お寺跡でのお地蔵様を撮るのを失念しました。次回の課題に。次は雄勝病院に向かいます。
*【株式会社 ゆい工房】 公式サイトより引用
*乱文、誤字脱字をお許しください。
*犠牲者のデータは2022 年 3 月、原発避難者のデータは 2022 年 2 月のものです。
*レポートは自由にお使いください。
*追悼旅の実施にご理解、ご協力を賜りました方々に感謝申し上げます。
参照元 宗学堂 当別院僧徒 教化活動レポート『思いは東北!』~第9章~