浄土真宗の御教え 本願寺 眞無量院の浄土真宗の御教えについて紹介いたします。

後生の一大事

葬儀などでよく「故人は往生の素懐を遂げられ…」という言葉を耳にします。素懐というのは、その方が、平素より抱いていた願いを指す言葉であり、死というものを恐れ、遠ざけていた方に使う言葉ではありません。生まれたということは必ず死ぬ、ということです。歴史上どれほど偉大な人物でも死を免れた人というのは当然ながら存在しません。

では死とは恐怖そのものなのでしょうか。死ということをかねてより願いとする人間はあまりいないはずです。往生の素懐を遂げる。ここに往生という言葉があります。私たちの命は何もないところから、何の原因もなく出てきたものなのでしょうか。 仏教は因果の教えです。あらゆる事象に因があると説かれます。死ねば命はただ消えてなくなるだけなのでしょうか。仏教が因果の教えであるならば、そうではないはずです。

人間が暗闇に恐怖を感じるのは動物だったころの名残りだそうです。この恐怖は得体の知れないものへの恐怖であり、不可思議なものへの恐怖です。不可思議とは人間の思慮思考では及ばない事象のことです。

では不可思議なものは全て恐ろしいものでしょうか。そうではないはずです。現実に私たちの生きる地球は宇宙の中の惑星の一つです。地球があり太陽系があり銀河系があり、視野を広げれば広げるほど謎は深まるばかりです。そう考えれば不可思議な世界を現実に生きているのが今日の私たちです。

往生は往って生まれる、と書きます。この往という字は目的の場所へいくことを指し、生はご存じの通り終焉や消滅を指す言葉ではありません。

釈尊は、死は決していのちの終わりなのではなく、その先の後生というものをお説きになられました。今の命の後にまた生まれるのです。どこに生まれるのかを考えれば、この人生を離れても、再び迷いの世界へ生まれることを願う人はいないはずです。

阿弥陀如来から見れば、死は終わりではありません。迷うことのないたしかな世界に往生をさせて頂く身として、喜びのもとで力強く生きる道を知らせて頂く御縁がすなわち後生の一大事なのです。